猪崇大社
雨四光区
この区画は銹錆(シュウセイ)の中で最も工場が多く、夜は五光区に匹敵する美しい夜景を誇る。そんな雨四光区だが、工場や家だけが区画を占めるわけではなく、また別のものが非常に奇妙な景色を作っていた。
銹錆は神に近付くがために、木を切り山を削り、街を上へ上へと積み重ねた国だ。そんな国でも、山のとある一角だけはどうしても削ることが出来なかった。それもそう、そこには勅願寺として数多くの寺が立ち並んでいたのだ。建築反対派たちはそれを大義名分とし、建築賛成派と争ったのち、押し負けた過去の雨四光区の区長が勅願寺の寺群を避けて街を積み上げることを決意した。話はそれで終わるわけでもなく、社寺保護団体が「上層で済む人々は勅願寺のご加護が薄れる」と騒ぎ始め、街だけではなく寺も積み上がったという。寺とは本来役所の役割を持つものであるのだし、まあ積み上がってもいいかと判断したとかしていないとか。
つまり、大まかに国を見て左半分は工場、右半分は寺や神社、そしてそれが天まで積み上がっているという、雨四光区でしか見ることの出来ない奇妙な光景が広がっていたのだ。
現在、新しく立てられた寺に捧げられる曼荼羅に祈祷をするため、アカタキが借り出されていた所だった。
「うわー!相変わらずやけど仏さんいっぱいおるやん!俺今日この絵に演奏かけたらええんですか?」
「そうそう、よろしくお願いしますね」
「はーい!」
1人の男性のご住職が優しく言葉を発する。ご住職は、時間が来るまでこの部屋でゆっくりしているよう伝えて退室した。それを見送り、座布団に座り三味線の練習をする。
「ちりりんりん、スーリ、リンリン、ウつ、リンリン」
三味線の譜面にある言葉を言いながら、撥で胴を叩く。祈祷の譜はゆったりとした楽曲が多いため、よっぽどの事がない限り失敗はしないだろう。余裕があったからか、ポツリと言葉をこぼした。
「まんだらってなんで仏いっぱいおるんや」
「こんにちは、今日はよろしくお願いいたします。曼荼羅のことが気になるのですか?すみません、つい聞こえてしまったもんで」
言い終わると同時くらいか、障子をスルスルと開きながら坊主がそう尋ねてきた。
「こんにちは!そう!なんかいつも仏さんめっちゃおるけど、なんでなんかは聞いたことなくて」
おおそれはそれは、と急ぎ解説を始めてくれた。今まで彼と接触してきた住職が解説をしていなかったということを、申し訳なく思ったのだろう。
「難しくややこしいことを言っても…ですからね…。あなたの場合、何で例えるとわかりやすいでしょう。そうだ、カードゲームは知っていますか?」
「知ってる!破壊王やろ!?俺もちょっとだけカード持ってんねん!」
坊主は子どもが入り込みやすい良い解説が出来そうだと喜んだ。
「それは良かった。皆さん、カードを数枚組み合わせるじゃないですか」
「あ!デッキやな!俺はな?”爆奏ミジンコドリーム”と”宇宙の位相”の組み合わせで相手の手札削るんにハマってんねん!」
「アカタキさんはその組み合わせが良いんですね。曼荼羅の仏さんも、それと似たようなもんですよ」
「ほんまに!?」
坊主は聞き慣れぬ単語に困惑しつつも、上手く曼荼羅へ引っ張ることが出来たようだ。ひとまず安心し、話を続けた。
「曼荼羅は仏さんのデッキ、最強の配置図のようなものです。仏さんの、最強のデッキ」
「え!?つよ!!地底人とモノノフトワイライトハートくらい強いんちゃう!?やばいな、まんだら。俺そんな強いのに演奏かけるん?ちょっと緊張してきたかもしれん」
「ありゃ、それは申し訳ありません」
ケラケラと笑い合う声は部屋の外まで響いているだろう。
ところが和やかな空気が広がる中、バダバタと廊下を走る音が聞こえ、坊主の弟子であろう男性が大慌てで障子を開けた。
「和尚さま」
「どうしましたか?」
弟子の様子を見るに、緊急事態のようだ。弟子はアカタキのことを配慮してか、坊主に1度部屋から出てもらうよう誘導した。そうしてまた廊下を走る音が聞こえ、遠のいていく。
「どうしたんやろ…」
再び演奏を始めようとしたところ、外から聞き慣れぬ鳴き声が部屋に届いた。
「え、え?」
また1つ、2つ、犬の鳴き声と共に何か別の鳴き声が混ざっている。
「いや、ちょっとなんか、ちゃうのおる」
声の主が気になり、磨りガラスの戸を開けた。美しい紅葉に枯山水、しかしその山水を荒らす焦げ茶の大きな生物が数匹、カッカッカッと声を出してそこにいた。
猪だ。
「え?」
思わず声を出してしまった。その声に気付かない訳もなく、猪は驚いてこちらに顔を向ける。犬に追い回されたのか、随分と興奮している。普段臆病な猪だが、興奮状態だと誰彼構わず攻撃するのだ。
猪はアカタキの方へ突進した。
「いや待って!!?ガチやん!!」
普段から政令指定団体の任務をこなしていたからか、突進を軽くかわせた。
「これあれや…!えっと!ちょとともうし、ちょつつもうしん!言えん!!うわああガチめにヤバい!!」
部屋から渡り廊下の方へ退避し、更にその廊下から松の木へ飛び移る。しかし、猪は松の木へ突進してアカタキを落とそうとする。どうしたものかと周囲を見渡して気付いた。なんと他の猪まで集まってきているではないか。
次の衝撃でまた松の木が揺れた。その拍子に体制を崩してしまい、おっと、と落ちそうなところでぶら下がり、何とか持ちこたえた。
再び和尚が戻ってきたが、事態の悪化が想像以上で大変驚いたのか、廊下に尻もちをついてしまっている。
「アカタキさん!ああ、私としたことが!部屋を離れるべきではなかった…」
「あいつら!最強のデッキで来とんねん!!どないしょ、どないしたらええん〜〜〜!」
アカタキはそこで閃いた!
「せや!俺も最強のデッキ揃えたらええやん!」
数十分後
「ほんで俺らを呼んだわけですかーー!!?」
寺の屋根からステンが叫ぶ。アカタキは依然として松の木でフラフラしていた。そんな様子を見て、呆れ物を言う。
「猪がめっちゃデッキ組んでる言うたから面白そう過ぎて来たのに、割とガチめに生死関わっとるやんけ。猪のこと舐めとんのか」
そんな言葉にクロスケが走り書きしたメモを見せた。
『のこのこ来たくせに言うか』
「うっさ!」
遠くからまた声が届いた。
「あんなーーー!?猪がなーーー!?ヤバいねん!!」
「それは知ってますーーーー!!!!」
「ここのーーーー!廊下の屋根までー!来てー!!みんなきてやーー助けてーー!!!」
必死だ。
「カルキ、あいつと組んで動いてる時毎回こういう感じなん?」
「まあ8割がた」
「お前も苦労してんな」
話を終え、3人とも例の松の木の近くへ屋根を走りながら渡った。
「アカタキ、大丈夫か?今助けるから」
「さすが俺、ぜ〜んぜん大丈夫ちゃうで!」
カルキは自身の体からウネウネと生えているケーブル達を伸ばし、それをアカタキに絡めて回収した。無事松の木から屋根へ移ることが出来、坊主たちもホッとしている。
「カルキ〜〜ありがとうな?ほんまな?間一髪やったで?」
「無事でよかった」
「怪我なくて良かったな〜ほんじゃ帰_」
すると、リリリとカルキの携帯から着信音が鳴り響いた。ポケットからそれを取り出し、皆に背を向けて誰かと話している。
「はい、もしもし。…はい。今丁度現場にいます。そうです、アカタキも……わかりました」
「どうしたん?」
「団体からここの猪を捕獲する任務を言い渡された」
「は?」
カルキがこんな時に嘘を言うわけがない。大真面目な顔でアカタキに任務の内容を伝えている。そんな様子にステンは渋面を浮かべて独り言を零す。
「クソ人魚(団体の蔑称)はこんなチンチクリンのガキンチョに猪捕まえろって言う団体なんやな」
「…」
クロスケはこっそりと腹を立てているステンをみて、メモ書いた。
『手伝ってなんか奢ってもらお』
「クロスケ、見返りありきの行動は友だち以外にせえって」
『じゃあやりたない』
「お前ほんま…」
ステンは身寄りのない子どもらをこき使う政令指定団体に苛立ちを隠せずにいた。
アカタキたちの任務を手伝うということは、最終的に団体の名声を上げることに繋がってくる。釈然とはしないが、2人がこの件で怪我でもしたら更に腹が立つというもの。
「まー…今回だけ、今回だけよ…はぁ」
「ステンさんもクロも手伝ってくれるん!?」
「助かる。猪、五匹もいるからな」
アカタキたちはめいっぱい礼を言い、再び屋根から猪を見下ろした。
「猪〜〜!お前ら散々俺のこと追いかましよって!そんなんやったらなあ!そっちのカードとこっちのカード、どっちが強いか決めたろやんけ!!デュエル!!!」
「今日のアカタキくん、破壊王に感化されすぎやねんけど、なんかあったん…?」
「いや知らない…ハマってるだけだと思うけど」
そうしてサルカニ合戦ならぬ、イノシシ ヒト合戦が幕を開けた。
「で、どうやって捕獲すんの」
「ここはガチャガチャしていて捕獲用の檻を作れないし、檻の装置も使えない」
枯山水では動きにくいため、まずは猪たちを本堂の前の広いポジションへ移動させねばならない。
「どうやったら猪に追いかけてもらえるん!?」
「標的になった上で走ってたら追いかけてくるやろな」
「そうなん!?」
「あ!おい!やれとは言ってないんや!」
「おっしゃクロ!行くで!」
「!?」
「あ〜〜流石アカタキくんやな!人の話全然聞かん!」
アカタキはクロスケのパーカーのフードをグッと引っ張り、屋根から飛び降りた。興奮状態の猪に背を向けて走ったから、猪はアカタキたちをしきりに追いかける。
「カルキ、猪はまとめて捕まえるんか?」
「そうする」
「じゃあ俺あいつらが猪とやりあってる間に、灯油で円作って囲むわ」
「了解」
作戦会議を終えた所で、二人ともクロスケたちの後を追い始めた。本堂の方から三味線とベースの音が鳴り響いている。既に乱闘を始めているようだ。
「おらおらおら〜〜!俺らの音楽聴けや〜〜!!」
「……」
などと言って楽器から波形…ではなく波動を猪に向かって飛ばしている。波動は音の波形の数が多いほど多く飛び出す。
アカタキは素早い演奏を全力でしているのだが、クロスケはメロディーラインの根音を適当に響かせていた。
「おいクロ〜!!なんやねんそのやる気無さすぎなリフは〜!!!」
「……」
「はーーん?お前のベースもっとイカしてると思ってたのにな!ミミズちゃんみたいやわ!」
「チッ」
ミミズなどと言われ腹が立ったのか、アカタキに向けて強烈なベースリフ、つまりは強烈な攻撃を送っている。
「おあああああ俺んとこに向かって演奏しやんといて!ステンさんのとこにやって!!」
「は??」
突如として巻き込まれたステンは、全くもって腑に落ちないという顔をした。
しかし焚き付けられたことによってクロスケの手からは熱く心に響くベースリフが繰り出されている。
ステンはそれを無視して坊主たちにとあるものの使用許可を取りに行った。
「あの〜えっと…灯油まいていいですか?」
「え?」
「そこの広いとこに、灯油まいて猪追い込むんで灯油貸してもらえませんか?」
「しかし、警察を待たないと」
ご住職は難色を示している。そうなるに決まっている。
しかしそうこうしているうちにクロスケたちが怪我をする可能性があり、一刻を争うのだ。ステンは何があっても全てを団体に擦りつけてやろうと思い、魔法の言葉を紡ぐ。
「それが、にんぎょっ…あ〜”政令指定団体”の命令なんです。嘘ちゃいますよ?ほら、さっき赤髪のやつが団体の団員やって身分証明書見せてたでしょ」
「それはそうですが…団体様の令なら、う〜む、断れませんね…灯油を用意します。ですが、くれぐれもお気をつけください。危ないと思ったらすぐに逃げてください」
「わかりました。終わったら後で消化器まいてください」
用意された灯油を持ち、クロスケたちの周囲にちまちまとまき始めた。
「え!ステンさん!地味!!!」
「アカタキくんも一緒に燃えるか?」
「すみませんでした!ごめんなさい!」
ステンの背後ではカルキが捕獲用の大きな装置を体から生成している。鉄や機械に関係するものなら大概は作れるようだ。
灯油をまき終えた所で、どうやらカルキも装置を作りきったようだ。
「装置ができた。猪を取り囲んだら体から切除する」
「お〜し、おい!二人とも!はよこっち来い!」
「クロ!行くで!」
二人が再度猪に背を向けて走ると、それを追って猪たちがぎゅっとまとまり始めた。そして灯油の円の中には猪だけが揃う状態が作り出される。
「点火ー!」
と、言いながらステンが灯油に向けて口から紫色の炎を吐いた。熱い熱いと尻尾を振って首元へ風を送る。炎は敷かれた灯油のレールを進み、出口を塞いだ。上から見ると、きっと綺麗な紫色の円ができているのだろう。猪たちは変わった色の炎に怯み円の中心で右往左往している。
続けてカルキが太いケーブルなどで捕獲用の装置持ち上げ、円の中心で下ろす。装置に取り付けたカメラで猪の数を確認すると、装置の床の蓋をゆっくりと閉じて全て体から切り離した。
猪を完全に捕獲した。
「火消してください〜」
坊主たちに頼み、様子を見ていると遅れて警察が現れた。
「あ!青短支部のアカタキです!」
「同じく青短支部のカルキです」
「お勤めご苦労様でした。もう全て終わったのか…?遅くなって申し訳なかった」
「いえ、気にしないでください。猪は五匹全てあの箱の中です。あとは宜しくお願いします」
警官は敬礼をして消火活動を手伝う。諸々のことを終えた坊主がアカタキたちの元へ走ってくると、どこも怪我がないか確認し始めた。
「はぁ…怪我をしていなくてよかった。何もできず申し訳ありません」
「俺の最強のデッキ来てくれたから大丈夫やで!」
すると、坊主は各個人に礼を言ってまわった。あの時、ほんの一瞬でもアカタキから目を離してしまった。それがとんでもなく申し訳なかったのだろう。
しかし、アカタキはそんなことは気にせず、ただ一つのことだけが気になっていた。
「あの猪ってどうなるん?」
「…アカタキさん、あの猪たちは、殺処分になるでしょうね」
「え」
アカタキの表情が固まった。隣接している巨大な岩山に返すのだとばかり思っていたのだろう。
「俺らが捕まえてもうたから…?」
「いいえ、猪が街に姿を現したことが原因、つまりは猪たちの住処を奪う我々の責任なんです」
「…」
「あの猪たちの他にも我々のために犠牲になり、街の生活に溶け込んでいる生物はたくさんいます。そんなとき、どうすればいいのでしょう」
「どう…」
「古くから、食べ物に感謝しましょうと、物を大切に使いましょうと、そう言われますね。アカタキさんもその心を忘れないように過ごす。これで十分です」
「…」
言葉を失ってしまった。ガツンと頭を打ったと言わんばかり。アカタキは様々な気持ちが渦巻き、しょぼくれてしまった。クロスケが彼の背中をポンポンと叩いている。
少し離れた場所でそれを見ていたステンは思わず言葉をこぼしてしまった。
「大事なことやけどさ〜、このタイミングで学ぶこととちゃうねん」
「ステン…」
「学校とか、飯食ってる時に親から教えてもらうことやんけ。…せやから嫌いやねん、クソ人魚は…」
「…お前、良い家で育ったんだな」
「途中までな。感謝感謝」
こんな現状を作り出したのは国と政令指定団体だ。
ステンは強大な組織に愚痴をぶつけることしか出来ない自身の無力さに、心の中で小さく嘆いた。
帰路
アカタキはまだ落ち込んでいる。時折三味線をならすも、全くチューニングが合っておらず、ただただ不協和音であった。
「おい〜〜〜もう元気出せって〜しんどなるんやその音〜!お前が食うてる焼き鳥もみんな殺されとるし、その三味線かて猫の皮使っとるし、猪も捕獲したけどお前が殺した訳ちゃうんやから割り切れや〜〜」
「言わんとって!!!俺の心は繊細やねん!!ガラス!豆腐のハートやねんで!!」
「自分で言うんかよ〜〜」
皆ここまで回復の遅れるアカタキは初めて見た。何があってもいつも10分後には元気に笑っているというのに。
ステンは大きなため息を吐いて、アカタキたちを駄菓子屋へ連れて行った。
後日、今回の騒動が理由だったのか、例の寺は「猪崇大社(いすうたいしゃ)」と名付けられたと聞いて、アカタキは何となしに心が救われたような気がした。